書籍を参考にしたネタでも著作権侵害にならないワケ

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最近とても人気のある、とある女性芸人のネタについて、既存の書籍に書かれている文章に似ているのでは?という疑惑があり、一部の雑誌やブログなどで「パクリだ」「著作権侵害だ」と言われているようです。

その騒動についてのインタビューにおいて、この女性芸人は、パクリ元だとされる書籍を読んだことは認めた上で、自身のネタはインスパイアされたものだと話しているようです。文春オンライン 2017年4月5日の記事より)

雑誌やブログでの論調は”パクリネタ”として著作権を侵害しているといった悪印象を与えるような内容となっていますが、実際には、必ずしもそうではない、ということを考察してみます。

【ご注意】以下、当ブログでの見解を記しますが、最終的に著作物かどうか、著作権侵害かどうかを判断するのは裁判所であることはご留意ください。
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3行でまとめると

  • 類似性、依拠性があるため翻案権侵害の可能性が考えられやすい
  • しかし、パクリ元が法で保護される著作物ではない場合は侵害とならない
  • 問題のネタは書籍の内容をコピーしたのではなくアイデアの転用であるためインスパイアである

そもそも”パクる”とは?

Wikipediaによると、「ぱくり」とは

既存のものに似た作品やネタを作ること、あるいは極めて似た作品やネタを発表すること(ネタをぱくった、など。本来は剽窃、盗作)

とあります。
「ぱくる」という言葉自体は俗語のようですが、本来の意味としては「盗作」のようですね。

そこで、「盗作」を調べると

他人の作品の全部または一部をそのまま自分のものとして使うこと。また、その作品。剽窃。「歌詞が━される」 (明鏡国語辞典 第二版より)

ということで、「他人の作品」である書籍中の一部分を「そのまま自分のものとして」使った場合は、言葉としては「盗作」に該当する可能性はありそうです。

ただ、あくまで言葉としての「盗作」に該当する可能性があるだけであって、それだけですぐに違法だと判断されるものではありません。

盗作に該当するかしないかではなく、違法となるのは「著作権を侵害した場合」です。

パクリ(盗作)と著作権侵害はイコールでは無いことに注意が必要です。

著作権侵害の可能性

今回の話を扱ったブログの一部では「著作権侵害だ」と断定しているような記事もありました。

ある記事では、弁護士の意見として、もし訴えられたらネタの差し止めや金銭での決着というようなものもありましたが。。。

しかし、先述の通りパクリと著作権侵害は別問題ですので、安易に著作権侵害だと言うのではなく、著作権侵害であると判断できる要素があるかを検討する必要があります。

侵害しているとすれば翻案権か

著作権侵害だという場合は、具体的にどの支分権を侵害しているのかを考える必要があります。
では、複製権や公衆送信権、上演権など様々な権利がある中で、どの権利侵害が考えられるのか?

パクリ元とされるのは書籍ですが、問題となっている行為は、その書籍内の一文を基に「上演」または「口述」することで”ネタ”として見せている・聞かせていることから、書籍内の文章をそのままコピー(複製)したものではなく、表現形態を変えてさらにアレンジも加えているように感じられますので、基にした文が著作物である場合、このネタは翻案したことによって創作された二次的著作物だと言えると思います。

類似性と依拠性も確認できる

翻案権侵害だと言う場合、それを裏付けるものとして「類似性」と「依拠性」が必要となります。

(参考:過去記事「似ている=著作権侵害ではない!侵害判断のキホン」)

類似性ですが、週刊誌をはじめ多くの個人ブログがパクリだと感じたということは、おそらく似ているものだと感じられます。似ているからこそ、パクリ元だとされる書籍が発見できたのだと思います。

依拠性についても、先述の通り、パクリ元とされる書籍を読んでおり、その著者をすごく尊敬しているとまで答えていますので、依拠性を否定する常套句である「知らなかった」は通用しません。

では、やはり著作権侵害となるのでしょうか。

著作権侵害とはならない可能性大

「えっ!?類似性と依拠性の立証もほぼ確実だから、翻案権侵害で著作権法違反じゃないの??!!」

・・・と思うかもしれませんが、私は著作権侵害にはならないと考えています

ここまで著作権の侵害となるのかならないのかを考察してきましたが、実はとても重要な点が抜けております。

それは、著作権法で保護されるのは「著作物」に限られる、という点です。
著作物でなければ、盗用したとしても著作権法違反にはなりません

著作物ではない可能性

どの記事やブログも、書籍の中の文だから当然著作物である、という前提で書かれているような気がします。

もちろん、書籍自体は言語の著作物です。それについては異論無いと思います。

ただ、その書籍を構成するすべての文についてまで、それらすべてが著作物であるとは限りません。

仮に、それらすべてが著作物だとすると、もう誰も大勢の前で「諦めたらそこで試合終了ですよ」とは言えなくなります。犬が喋る漫画で「我が輩は犬である。」という台詞を書いたら翻案権侵害だとされてしまいます。

なお、マンガの1カットについては著作物だと考えられます。上記台詞を含んだ、あの有名な安西先生のカットを使うと複製権などの侵害となります。

ありふれた表現・事実・アイデアは著作物ではない

著作権法で保護される著作物とは、思想又は感情を創作的に表現したもの(著作権法2条1項1号)です。

つまり、ありふれた表現や短い文、そしてアイデアは著作物とはみなされない場合が多いです。

(参考:過去記事「著作物とは?」)

短い文は必ず著作物ではない、という訳では無く、例えば俳句や標語は著作物だと言えます。

例えば、男女の関係を表現するために「ミツバチ」と「花」を用いることは、あくまでアイデアであって、これだけでは何も表現していませんので著作物ではありません。
そして、「花は自らミツバチを探しに行かない」というのは周知の事実であり、その事だけを表現してもありふれた表現となりやすく(誰が表現しても大きな違いは生まれないはずです)、創作的とは言えません。
実際、元の書籍は(芸人のネタの方もですが)、この点については短い文でありふれた表現になっています。

つまり、パクリ元とされる部分は、そもそも著作物ではないと考えられます。

著作物では無いのであれば、その利用について著作権法違反となることはありません。
ネタの差し止めや金銭の支払を要求する理由がありません。

逆に言えば、ありふれてはいない表現、短くない表現をすることで、著作物であると言えます
例えば、
「ミツバチの周りで情熱的なリズムに合わせて踊る花は見たことありますか?おしべ・めしべからトゥーマッチな求愛オーラが出ていますか?違いますよね。美しく可憐な花は、心を静めて土の温かさを感じならが、ヌヌッと地面に根を張る。そして、じっと待つ。それだけで、そう、たったそれだけで、聡明なミツバチたちが百川帰海する光景を目の当たりにするでしょう。」
などは、あまりありふれた表現ではありませんので(・・・ですよね?)、著作物となります。

同様に、心のトキメキ(?)を表現するために「細胞」を用いることも、アイデアです。

著作権とは、その著作物が創作されてから著作者の死後50年間(TPPが発行されたら70年間も)もの長い間効力を持つ、非常に強力な権利です。
そのため、どんなものにも著作権を与えてしまう、つまり誰も(無断で)類似表現ができなくなってしまっては、著作権法の目的である「文化の発展に寄与」(著作権法第1条)することは困難となってしまいます。

インスパイアは大切

このように、パクリ元とされる箇所は書籍の一部のみであり、またその箇所だけを見ると、著作物性が否定される可能性は高いです。

今回パクッたとされた芸人さんも、尊敬する著者による「ミツバチ」「花」「細胞」を用いるというアイデアに共感し、”良いキャリアウーマン”の表現のために自身のネタという形で表現したものと思われます。

これこそ正にインスパイア(触発、感化)ではないでしょうか。

ミツバチなどを比喩に用いたセンスと、それに感化され多くの人に支持されるネタに仕上げたセンスの両方に賛辞を送りたいと思います。

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